長野の工房 工房野良

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季節の便り

梅雨

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 仕事で、1ヶ月ほどいなくて久しぶりに家にいる有り難さを身に沁みて感じています。
 作業場の前に大きなケヤキの木がある。(引っ越したばかりのころ、このケヤキの枝、葉でウールを染めたら、すばらしいワイン色に染まった。)毎朝、私はこの木を見ながらお茶を飲んでいますが、リスの巣があってこの何日か、リスが登ったり降りたりしています。また、雉の雄のようなすばらしい何色もの鳥も遊びにきます。おまけに昼はとなりのにわとりが毎日遊びにきたり、にぎやか。私の娘二人は家に来るときは、なぜか必ず、動物を連れてきます。一人はヤギ、一人は犬。我が家には猫が2匹に、犬が1匹。(先日、17年生きた犬が亡くなりました。)皆が集まると、まるで動物園の中で仕事をしている感じです。
 雨が降り続いている今は柿渋染めはあんまりできないが、ゆっくり遊んで、仕事も楽しみたい。

(2008年6月更新)

春2

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 長野は新緑、若草色に包まれ、鳥たちもたくさんうれしそうにさえずっています。季節の始まりを(?)を感じます。私たちはこの地に来て、16年になりますが、やっと村の人たちともよい関係ができはじめたかなと思っています。都会で暮らしていた私にとって、村の人の考え方は新鮮で驚きばかりです。自然の中で暮らし、先祖を守るため?都会とは必然的に違ってきています。私たちの仕事を手伝ってくれる人も少し増えてきました。先日も薪作りを手伝ってくれてとても助かりました。
 ずっと仕事を手伝ってくれているおばあちゃんがいます。刺し子、糸巻き、染めの材料「げんのしょうこ」
の採取、てんぴぼし、着物の解き、最近はボタンも作ってくれています。最初は大きさもばらばら、形もサンプルとは違っていて、ボタンにはならないものでした。でも、一緒に作っているうちにだんだんできてきました。二人は寒い日でも、薪をくべながら外で作ってくれてました。二人のずく(根性)感動です。
 このおばあちゃんは80歳に近いと思うのですが、すご~く元気、いつもニコニコ顔でエネルギーに満ち溢れています。おばあちゃんの畑を見たときはびっくりでした。畑がアートです。おじいちゃんが川から石を拾ってきて、ひとうひとつ積み上げて段々畑にしていますし、野菜の棚は竹を使い、縛るのはワラ、、、美しい。
 「これからは山をかけめぐり、山菜とりだ!」と眼を輝かせていました。、私もがんばらなくちゃーー。
 人間は歳ではないですね。

(2008年5月更新)

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新しいメンバー2人との仕事がはじまりました。一人は昨年より少しずつ手伝ってくれていた人で、一人は結婚を機に退職したメンバーに代わって、染め専門で手伝ってくれています。みんなで一緒に面白いものを作っていきたいと思いを新たにスタートしました。
 以前に菌をうった原木からしいたけが顔をだしました。春と秋、山ほどのしいたけが食べれる。山菜もこごみが採れだしました。はるたけなわ。
 先日昼神温泉の春まつりに茂山狂言を見に行きました。もともと私は能装束に興味があって、機会があるごとに観に行ってますが、狂言の衣装もすばらしい。身分にあわせての色や形があって、とてもおもしろかったです。
 最後に人間国宝の茂山千作さんが「福の神」を演じました。山の上の神社だったので、高齢の先生は籠にゆられ舞台に上がった。演じなくても先生そのものが「福の神」だった。桜が満開で森の中の神社で行われた狂言は素朴だったが、日本文化の伝統を感じて、つくづく日本はすばらしいなあと感じた。

(2008年4月更新)

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立春をすぎて
 山の中にくらしていると不思議に季節の変わり目(瞬間)を私なりに感じることができる。立春のときはだいたい節分のころだが(旧正月)寒いっていって、雪が降る日がつづいかと思うと、ある日お日様が出てその陽射しがとても輝いている。陽射しが強いというわけではないが、キラキラ輝いている。昔の人はこれを一年の始まりとしたことが納得できる。
 立秋の時は暑い日が続いても、ある日頬を冷たい!という風がなでていく。それでカレンダーを見るとだいたい立秋の日なのだ。四季の変化を体で感じれるのはとてもうれしい。でも、立夏と立冬はまだ感じれる日を見つけられない。
 そうそう、ふきのとうが雪の下から現れるとき、、、、。何年か前に地元のおばあちゃんたちの集まりにださせてもらったときに、まだ2月なのに、ふきのとうとせりを持ち寄ってごちそうになった。この時のおいしさが忘れられない。雪の下のふきのとうをさがすのだそうだ。どこにあるのかあらかじめわかっていないとできない。たくさんふきのとうを食べてきたが、あのマロヤカな味はとてもおいしかった。せりもわたしの大好きなもの。以前、田んぼにせりがたくさんできていて、そのせりを大きな鍋でゆでて色を出してから食べた。(その煮出した液で染めようとしたのですが、もちろん色は出ませんでした)このせりは苦くて食べることができませんでした。取る時期が遅かったのでしょう。おばあちゃんのせりは雪の下から取ってきて、根も一緒に食べる。この根っこがおいしい。
 いまでもこのせりとふきのとうの味は忘れられない。山で暮している人達は、
世の中で売ってはいない大事なめぐみを惜しみなく頂いているのだなーとうらやましく思った。田舎で暮して16年になるが、私にはまだ動物的な感覚がもてない、、、、残念。

(2008年2月更新)

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